第1回                        宇和島じゃこ天カーニバル

大観衆でさすがの楠葉さんんもびびりました。

じゃこ天カーニバルはマスコミの関係の方々の支援も大きい。宇和島地方局の様々なゼロ予算事業を積極的に取り上げて頂いた。無名会のメンバーに愛媛新聞宇和島支社長の諸江さんがおられた。私はマスコミ関係の方々を全く苦にしない。若い頃広報広聴課にいたからだ。県庁時代最も面白かった時はと聞かれれば躊躇なく藤井秘書公室長(当時、後副知事)さん傘下の広報広報課だ。この時代新しい取り組みとして生まれた係で若い私にどこでも自由に入れる権限を与えられた。それで55総体のふなやでの伊賀部長(当時、後知事)さんの発表担当、四国中央市での四国4県知事による高速道路起工式や大三島橋の起工式、山財ダムの起工式など白石知事さん時代の多くのビックイベントを見させて頂いた。その中の大きな仕事が番町記者クラブの記者の方々とのお付き合いだ。当時の記者クラブはNHK番組の事件記者通りの雰囲気である。豪傑が揃っていた。愛媛新聞今井さん、新田さん、菊池さん、NHK白石さん、日野さん、南海放送河田さん、東さん、久米さん、読売新聞近藤さん、産経新聞水野さん、村上さん、東さん、毎日新聞桜井さん、日刊新愛媛梶原さん、大北さん、時事通信岡野さん、共同通信相原さん、日本経済新聞相川さん、愛媛放送門屋さん、喜田さん、西林さん、堀内さん 県広報番組担当としての南海放送長野さん、宮内さん(肩書きは除かせて頂いています。)これらの方々に物珍しさもあったのであろう。みなさんは敏腕記者として恐れられていたが若い私は大変可愛がって頂いた。
愛媛新聞の今井広告局長(当時、社長、会長、現相談役)さんには特に若い私たちの勉強会のサークルで講師をしていただくなど県政の裏情報などお教え頂いた。思い出は今井広告局長さんに担当をお願いし白石知事さんと林美智子さんとの日中友好の翼ということで愛媛新聞一面で県政広報を行ったことだ。対談は東京の帝国ホテルで行われ当時としては画期的なことであった。電通の小林さんに取り扱って頂いたが広報するための企画会社があることを初めて知った。それと私の推測かも知れないが宇和島に赴任している時、正月に経済同友会から講演の依頼が急遽あった。お聞きすると「今井会長さんが急遽これなくなった。代わりにお願いしたい。」とのことである。今井会長さんの干支を題材としたお話は有名でライフワークである。私には役不足であることは十分認識していた。思いをありがたく受けさせて頂きじゃこ天カーニバルのお話をさせて頂いた。不思議なことだがこの連載の続きを書こうとしたとき愛媛新聞朝刊に市町村合併の記事が掲載されていた。実はあの合併の骨組みを事前に発表するきっかけとなったのはこういうことだ。病床に愛媛新聞の菊池さんをお見舞いしたとき市町村合併の話となった。その時菊池さんが「愛媛県では今まで事前に案を発表したことがない。今回は事前に発表し意見を県民の皆様からお聞きした方が良い。」と提案された。ずっとこの事が頭から離れなかった。吉崎総務部長さんは前向きな方だからいつか話そうときっかけを探していたところ随行をする機会を得た時車中でお話をした。「やろう。」と即了解を頂いた。U係長(当時、実質彼が最初から最後まで事務方として合併を成し遂げた。)に取りかかってもらった。そして愛媛新聞一面の全面記事となった。
ということで宇和島の隅々まで知り尽くしている諸江支社長さん(後日、今治西高同級生 玉井君の縁戚に当たることを知ることとなった。)には支社にお伺いし事あるごとに相談に乗って頂いていた。その時古川部長さん(当時)を知ることとなった。お二人の適正なお話は本当に力強い支援となった。支社には大田原さんと言う女性記者がおられたが明るい方でお聞きしたらやはり保健所に勤務されていた獣医の大田原課長さんの娘さんであった。本当に宇和島支社のみなさんにはお世話になった。南海放送のもぎたてでの放映やNHKの女性の記者の方々を始め多くのマスコミの支援を頂いた。これらの好意的なマスコミのみなさんの記事が我々への大きな励みとなって目的達成に向け突き進んでいった。
また、宇和島ケーブルテレビに中川総務部長さんを井野課長補佐とともにお願いに行きじゃこ天カーニバルのポスターを放送中背景に掲示して頂くようお願いし了解を頂いた。これが大きな効果をあげた。ただ一度記者の方々に申し訳ないことをした。懇親会をして大いに盛り上がり公舎に行こうとお話があった。反射的に渋った。私は40歳以降2次会にはつきあわない。肝臓、胃で命が助かり30歳から血圧の薬を飲んでいたためいつか心臓も悪くなるのではないかと恐れていた。多分名医に恵まれたことは勿論であるが心臓、肺炎に罹患し命を取りとめたのはこの節制を続けたお陰であると思う。ただ高校の同級生の3人会だけは唯一例外でありJRの時間を気にしながらであるが2次会でカラオケを楽しんでいる。そして、思いがけず、愛媛朝日テレビに最後に取締役として参加出来たことはこの上ない喜びとなった。

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