山下会長 お願いした時の決断 いつも即決でしたね

山下丸穂牛鬼保存会名誉会長。宇和島牛鬼の象徴、別格である。伝説的な、様々なことを成し遂げている。周囲から、極めて困難であると思われたが、自らの責任で、先頭に立ち、愛媛丸で亡くなられた方々のためハワイにおいて、宇和島牛鬼で鎮魂をされた。総合庭園 山下造園を経営されている。また、長年消防団活動にも、取り組まれている。高知県香南市のどろめ大会で、2度の優勝。2度目は今年度だ。一升の杯を、13秒6で飲み干した。1度目の優勝は、8秒余りであったと言う。私が「すごいですね。」と、言うと「四之宮さん、それだけでは尊敬されない、その後皆さんからのお祝いの献杯を全て受けて初めて認められる。」と。山下さんと付き合いが始まったのは、宇和島市の消防団の総会であったと思う。当時、消防団の副団長、そこで宇和島牛鬼の話を熱心にされたので、強烈に印象に残っている。その後、伝説的な存在であることを知る。じゃこ天カーニバルには、絶対欠かせない存在だ。それで、ご自宅にお伺いし、要点だけ話し牛鬼のパフォーマンスをお願いした。手には何も持っていない、口頭の説明である。するといとも簡単に、「宇和島のためにやっていただけるのですね。ありがたい、力になりたい。」と、即座に承諾を頂いた。多分不思議に思われるだろう。ご自身、仕事も持っておられる、牛鬼を担ぐ人々も必要だ。普通なら即答出来ない。それが出来る。私は、うれしさの余り、深くその時は考えなかったのだが、その後理解する。松山観光港でのイベント開催の時にも、お願いに行ったが、その時も「分かりました。」と即答である。観光港では理由があり、休日にはイベントが制限されていたため、平常日である。自らはもとより、牛鬼を担ぐ方々は若い働き盛りの人々だ、休日を取らなくてはならない。経費もいる。それが即答出来るとは、山下さんは言う、「助けがいるときはいつでも言って下さい。」、この山下さんの言葉は、単なるお世辞のあいづうちではないのだ、山下さんの言葉は、責任を持って引き受けたとの誠そのもなのである。宇和島の活性化、牛鬼のためには、心底命をかけている人からしか生まれない、重みのある言葉だ。それに気づいたとき私は心底慄然とした。
今も、清家会長を囲む会で、中心をなしていただいている。ありがたいことである。
こういう方々に、お話をするときはペーパーは不要である。瞬時に理解される。そして、不毛な出来ない理論でなく、成功するためにはいかにするか。それに専念していただける。私がこれから声をかけようとする方々は、そういうトップの方々ばかりであった。だからこそ、成功をイメージ出来ていた。それに、宇和島牛鬼の助けも得ることが出来たのだ。

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